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私の書いたいくつかの二次創作の中で、17話の水杯は、四天王の死の決意のシーンという解釈をしています。直近「猿猴取月」でもそうです。
水杯シーンは、「皐月と四天王の別れ」(皐月だけが死ぬつもり)という解釈と、「全員の死を覚悟している」という2つの解釈がありうるかと思っているのですが、後者の解釈、ということです。
なんでか、というと、23話の紅茶を飲むシーン。
「カップは割るな」
「我々は死にに行くのではない。生きて戻ってもう1度、このお茶を飲む」
「そうだな。揃」
皐月の台詞で、四天王(とくに猿投山と乃音)がすごく驚いてるんですね。
«23話
驚く四天王
水杯シーンで死ぬ気がなかったなら、ここで驚く理由はない気がするのです。
※画像は、「引用」の範囲で使用しています。